文学

「少年の日の思い出」を改めて読んでみる

どうも!雨鹿です!

中学生の時に読んでからというもの、僕をドイツ好きに変えてしまったヘルマン・ヘッセの名著「少年の日の思い出」...

あれから十数年の時が経った今こそ、もう読んでみようと思い、改めて「少年の日の思い出」を読んでみることにしました!



目次

少年の日の思い出とは...

元々は、ヘルマン・ヘッセが1911年にミュンヘンの雑誌である「青年」において発表した「Das Nachtpfauenauge(クジャクヤママユ)」が初稿となっていますが、それから20年後の1931年に改稿したものが「Jugendgedenken(少年の日の思い出)」です。

日本では、1947年以降今日に至るまで中学1年生の国語教科書に掲載されているので、日本では最も有名な外国文学作品ということになるかもしれません。

物語は主人公である「ぼく」が過去を回想する形(もはや告白に近いかもしれませんが)で展開されていきます。

「ぼく」は、8歳か9歳の時に、その時に流行りだったチョウチョ集めを始めます。

当初は特別熱心でもなかった「ぼく」ですが、10歳くらいになると他のことはすっぽかして取り組むほどに熱中していたのでした。

「ぼく」は捕まえたチョウチョを標本にして収集していましたが、両親が立派な道具をくれなかったためにその収集をダンボール箱に保管していました。

最初は仲間に自分の収集を見せていましたが、その仲間が贅沢な道具を持ってたことから自分の幼稚な設備を自慢することができなくなり、妹たちだけに見せる習慣となっていったのでした。

ある時、「ぼく」は珍しいコムラサキを収集することに成功し、嬉しさのあまりせめて隣の子にだけは見せようという気になります。

その隣の子というのが、この物語の核となる「エーミール」だったのでした。

「エーミール」は非のうちどころがないという悪徳を持ち、チョウチョの収集は小綺麗で宝石のようであり、壊れたチョウチョの修理も行うことができるという模範少年で、「ぼく」はこの少年を妬み、嘆賞しながら憎んでいました。

この少年にコムラサキを見せた「ぼく」でしたが、その価値は認めてもらえたものの、その収集に難癖をつけられ、「ぼく」は喜びを傷つけられてしまったことから二度と彼に収集を見せることはありませんでした。

それから2年後、「エーミール」がクジャクヤママユをサナギからかえしたという噂を耳にします。

このクジャクヤママユは「ぼく」が熱烈に欲しがっていたチョウチョなのでした。

早速このチョウチョを見たくなった「ぼく」は、「エーミール」の家を訪ねますが、「エーミール」は留守でした。

しかし、チョウチョがどうしても見たかった「ぼく」は階段を登って「エーミール」の部屋に入り、果たして念願のチョウチョを見ることができました。

ただ、念願のチョウチョを目の前にして、この宝を手に入れたいという逆らいがたい欲望を感じ、生まれてはじめて盗みをおかしてしまいます。

その時は宝を手に入れた満足感で満たされていた「ぼく」でしたが、誰かが階段を登ってくる足音が聞こえた時に目が覚めることになります。

盗みをおかしたという罪悪感と見つかってしまうのではないかという不安感で「ぼく」はチョウチョをポケットに突っ込んで「エーミール」の部屋を後にするのでした。

階段を登ってきた誰かは女中でしたが、「エーミール」の家を出た直後に持っていてはならないものを持っている、返さなければならないという思いで再び「エーミール」の家に赴き、机の上にポケットからチョウチョを出して置きます。

しかし、そのチョウチョはもう潰れてしまっているのでした。

悲しい気持ちで家に帰った「ぼく」でしたが、自らの行いを母に打ち明ける勇気を起こし、母にこれまでの経緯を告白します。

母は驚き悲しみましたが、「エーミール」に謝りにいくように「ぼく」に告げ、「ぼく」は気乗りしないながらも「エーミール」を訪ねます。

「エーミール」を訪ねるとすぐにチョウチョが何者かに壊されたことを話しだし、2人は壊されたチョウチョを見に「エーミール」の部屋に向かいます。

そこで「ぼく」は「エーミール」にチョウチョを壊したのが自分であることを遂に告白したのでした。

告白を受けた「エーミール」は激したりせずに「そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな。」と言い放ち、軽蔑的に「ぼく」を見つめるのでした。

その後「エーミール」の家を立ち去った「ぼく」は自らの家に帰り、これまで集めてきたチョウチョを指で粉々に押しつぶすのでした...

物語の流れとしてはこんな感じですが、何とも絶妙に少年の心を捉えていると思いませんか!?



ドイツでは読まれない名作

非常にセンセーショナルで、日本人の多くに読まれているこの作品ですが、実はドイツではあまり有名ではありません。

ドイツでは、初稿の「Das Nachtpfauenauge」の方が有名なのです。

なぜこのようなことになっているのかというと、翻訳を行ったドイツ文学者の高橋健二氏が1931年にヘッセを訪問した際に、ヘッセが「列車の中で読みたまえ」と「Jugendgedenken」の新聞の切り抜きを高橋氏に渡したためにヘッセの手元に残らなかったためと言われています。

その後、新聞の切り抜きを日本に持ち帰った高橋氏がこれを翻訳し、いつしか国語の教科書に掲載されることになりました。

逆に、ドイツではヘッセの手元に「Jugendgedenken」が残らなかったために、初稿の「Das Nachtpfauenauge」が全集などに収録され、そちらが有名になったわけです。

こんな運命のような行き違いってあるんですね!



あの時の衝撃を求めて...

さて、そんな「少年の日の思い出」ですが、冒頭でも書きましたが僕をドイツ好きにしてくれた思い出の本でもあります。

あの時の衝撃にもう一度会いたくて、再び読みたいと思うようになりました。

日本では有名な作品なのですぐに見つかると思っていたのですが...

教科書と同じ、高橋氏が翻訳したものが見つからない!

多く売られているのは高橋氏に師事していた岡田朝雄氏が翻訳したもの...

別に教科書と同じ翻訳者でなくても良いのでは?と思われる方もおられるかと思いますが、違うんです!

作中で最も印象に残っている、あのエーミールの発言「そうか、そうか、つまり君はそういうやつなんだな。」の部分が思いっきり変更されているのです!

そこは変えなくても良いじゃん!

まあ、そんな愚痴を言っていても始まらないので、また探し始めました。

探し始めて少し経った頃、ようやく見つけることができました!

学研さんが出版している「もう一度読みたい教科書の泣ける名作再び」に高橋氏の翻訳のものが掲載されていたのです!

学研さん、ありがとう!!

改めて読んでみた感想

久し振りに読んだ「少年の日の思い出」は、変わらず素晴らしいものでした。

懐かしい思い出の場所に帰ってきたような、そんな感情にさせてくれました。

大人になった今だからこそ分かる、「少年の日の思い出」が絶妙に捉えている少年時代誰しも経験した、あの時ならではの気持ち。

改めて読んで良かった!

何度も言う!

学研さん、ありがとう!!!

まとめ

教科書に何気なく掲載されている様々な物語ですが、今回取り上げた「少年の日の思い出」のように心に残っている作品はそれぞれにあると思います。

大人になった今だからこそ、昔を思い出す時間を作るために、そんな作品たちを読んでみるのも良いのかなと!

それでは、チュース!



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