どうも!雨鹿です!
子供たちに語り継がれる学校の怪談シリーズ5回目となる今回は、「口裂け女」をご紹介します!
目次
口裂け女とは
口裂け女は、1978年12月頃から1979年の夏頃に日本中で大流行した怪談です。
当時の子供たちを恐怖のどん底に叩き落とし、警察の出動や集団下校の実施など、社会に大きな影響をもたらしました。
その口裂け女は以下のように語られています。
ある子供が夕方の暗くなってきた時間に家路を急いでいると、ある電柱に口元を隠す大きなマスクをして赤いコートを着た女が、突然その子供に「私、綺麗?」と尋ねてきました。
その子供は「綺麗です」と答えると、女は「これでも?」とマスクを外しました。
マスクを外したその顔は、口が耳元まで裂けた異様なものであったと言われています。
この世のものではない顔に驚いた子供は逃げ出しますが、口裂け女の足はとても早く、たちまち追いつかれてしまい、その子供は殺害されてしまったのでした。
口裂け女から逃げ切ることは容易ではありませんが、唯一の逃げる方法としては、「ポマード」と唱えると撃退することができると言われています。
なお、もし「私、綺麗?」と尋ねられた時に、「綺麗じゃない」と答えると、その場で殺されてしまうと言われています。
社会への影響
口裂け女は、学校の怪談や都市伝説の中で最も社会に影響を与えた怪談であるということができます。
特に、最も噂が流行していた1978年12月から1979年夏頃までは子供のみならず、大人までをも巻き込んだものとなっていました。
警察が出動したり、先生や保護者が同伴する集団下校が実施されたりなど、その影響は計り知れないものとなっていたのでした。
また、マスコミも頻繁に口裂け女をフォーカスしたため、その影響はさらに甚大なものとなったと言われています。
噂の起源
出自が不明な場合が多い学校の怪談や都市伝説の中にあって、口裂け女はその起源とされる場所が明確に記録されています。
日本で最初に口裂け女が噂されたのは岐阜県八百津町でした。
その後、地元新聞である岐阜日日新聞に特集され、ついで1979年6月に週刊朝日の記事で紹介されたのでした。
岐阜県で発祥した口裂け女は瞬く間に子供たちの間で広がり、学校で広まった噂は塾で校区を越えて広がりを見せ、最終的に全国へと流行していったのでした。
また、噂が全国に広がっていく中で、「100メートルを6秒で走る」「べっこう飴を投げるとそれを喜んで食べるので、その間に逃げることができる」など、話が脚色されていったと言われています。
さらに、「口裂け女は整形手術で失敗した女である」というものや、「精神病の女が脱走し、口紅を顔下半分に塗りたくっている姿である」という、口裂け女の正体に関する噂も様々に語られるようになっていきました。
ただ、この怪談にはいくつか発祥した原因と言われるものがあり、「子供を塾に通わせてやれない親が、子供に諦めてもらうために広めた噂である」というものや、「実はCIAが日本において噂の広まるスピードを実験するために広めたデマである」など、様々に語られているため、その真相は掴みづらいものとなっています。
「口裂け女」まとめ
今もなお強烈なインパクトを子供たちに与え続ける口裂け女ですが、その起源は多く語られるが故にはっきりせず、不気味な雰囲気が漂う独特な怪談としての地位を築いています。
親が子供の塾通いを諦めさせるために思いついた噂であれば微笑ましいものとなりますが、本当に存在している異形の者がモチーフになっているとしたら、この怪談は極めて恐ろしいものとなるのではないでしょうか。
それでは、チュース!