どうも!雨鹿です!
人類はこれまでの歴史の中で、地球からの贈り物である宝石に魅了されてきました。
そんな至高の芸術品である宝石ですが、その美しさ故に、時には人々の人生を狂わせることがあったのも事実です。
今回は、そんな宝石の中でも最も有名な「ホープダイヤモンド」をご紹介します!
目次
ホープダイヤモンドとは
ホープダイヤモンドは、その美しさと歴史によって世界で最も有名な宝石と言われる、45.52カラットのブルーダイヤモンドです。
現在はアメリカのスミソニアン博物館の一つである国立自然史博物館に所蔵されています。
歴史と伝説
ホープダイヤモンドは確実な資料などによって確立されている「歴史」と、その歴史の中で噂として広まってきた「伝説」が語られています。
次からは、その「歴史」と「伝説」を分けてご紹介します。
ホープダイヤモンドの歴史
「発見」
ホープダイヤモンド(当時はこの名前は付いていませんでした)は、9世紀頃にインド南部のデカン高原にあるコーラルという町を流れる川から農夫によって発見されました。
それから800年は確実な歴史がなく、次に登場するのはフランスでした。
「フランス時代」
1660年、フランス人のジャン=バティスト・タヴェルニエがダイヤモンドを購入し、農夫についで歴史上2番目の所有者になりました。
その後、1668年にタヴェルニエからフランス王ルイ14世がダイヤモンドを購入し、3番目の所有者となります。
この時、ルイ14世はダイヤモンドをカッティングし、このダイヤモンドは「ブルーダイヤモンド」と呼ばれるようになりました。
ブルーダイヤモンドは次代のフランス王であるルイ15世に継承され、4番目の所有者となります。
また、1749年にルイ15世はこのブルーダイヤモンドを金羊毛騎士団用のペンダントに付け直しました。
1792年9月11日、ブルーダイヤモンドはフランス国王ルイ16世に継承され、歴史上5番目の所有者となっていましたが、フランス革命によって国王一家は幽閉されており、混乱に乗じた6人の窃盗団によって王室の宝玉庫が襲撃され、ブルーダイヤモンドは他の宝石類と合わせて奪われてしまいます。
結果的に、窃盗団が歴史上6番目の所有者となりました。
この6人の窃盗団のメンバーであった士官候補生のギヨはブルーダイヤモンドや他の宝石類をロンドンなどで売り捌こうとしており、実際に1796年に宝石類を売っているものの、ブルーダイヤモンドを売ったという記録は残っていません。
「イギリス時代」
しばらく歴史の舞台から消えていたブルーダイヤモンドは1812年9月にイギリスの宝石商であるダニエル・エリアーソンが所有していたという記録が残っており、歴史上7番目の所有者ということになります。
このことはスミソニアン協会とフランス国立自然史博物館が確認しており、この時にエリアーソンが所有していたブルーダイヤモンドこそ、今日に伝わる「ホープダイヤモンド」ということになります。
また、この時期にエリアーソンがブルーダイヤモンドを所有していることは、窃盗から丁度20年が経過していることから時効を狙ったという説がありますが、定かではありません。
「ホープ家の所有へ」 〜ヘンリー・フィリップ・ホープ〜
エリアーソンがブルーダイヤモンドを所有していることが確認されてから約12年後の1824年、歴史上8番目の所有者としてヘンリー・フィリップ・ホープがブルーダイヤモンドを宝石コレクションとしたことが記録されています。
また、ヘンリー・フィリップ・ホープはこのダイヤモンドをブローチに取り付け、義理の姉妹であるルイーズ・べレスフォートに貸し出しており、彼女は社交パーティでそれを使ったと言われています。
「ホープ家の所有へ」 〜ヘンリー・トーマス・ホープ〜
ヘンリー・フィリップ・ホープの死後、彼の3人の甥がダイヤモンドの所有権をめぐって裁判で争いましたが、結果的には1839年にヘンリー・トーマス・ホープが歴史上9番目の所有者となりました。
ヘンリー・ホープは1851年のロンドン万博と1855年のパリ万博にダイヤモンドを出展しました。
「ホープ家の所有へ」 〜アデル・ホープ〜
1862年12月4日、ヘンリー・トーマス・ホープが死去し、妻であるアデル・ホープがダイヤモンドを継承したことで、歴史上10番目の所有者となりました。
「ホープ家の所有へ」 〜ヘンリー・フランシス・ホープ〜
1884年3月31日にアデル・ホープが死去したことで、ダイヤモンドは孫であるヘンリー・フランシス・アデルに継承され、歴史上11番目の所有者となりました。
また、このダイヤモンドを継承する際に「ホープダイヤモンド」と名付けることを条件としたため、今日ではその名前で呼ばれることとなりました。
その後、1896年にヘンリー・フランシス・ホープは破産することになり、ホープダイヤモンドはロンドンの宝石商であるアドルフ・ウィルが買い取ったことで彼が歴史上12番目の所有者になりました。
「宝石商を転々とするホープダイヤモンド」
1902年、アドルフ・ウィルはホープダイヤモンドをアメリカの宝石商であるサイモン・フランケルに売ったことで彼が13番目の所有者になりました。
その後、サイモン・フランケルはパリのソロモン・ハビブにホープダイヤモンドを売ったことで彼が歴史上14番目の所有者になりましたが、約1年後には債務弁済のためにホープダイヤモンドをオークションに出品してしまったのです。
そして、そのオークションでパリの宝石商であるローズナウが落札したことで、彼が15番目の所有者となったのでした。
「カルティエの所有へ」
1910年、ローズナウがピエール・カミレ・カルティエにホープダイヤモンドを売ったことで、彼が歴史上16番目の所有者になりました。
「エヴェリン・ウォルシュ・マクリーンの所有へ」
1911年、カルティエはホープダイヤモンドを装飾し直した上で、アメリカ社交界の名士であるエヴェリン・ウォルシュ・マクリーンに売り、彼女が歴史上17番目の所有者になりました。
当初はホープダイヤモンドを着用しなかったマクリーンですが、やがては社交の場で着用するようになっていったと言います。
「ハリー・ウィンストンの所有へ」
1947年にマクリーンが死去した後、遺言によって今後20年間はホープダイヤモンドを売却しないようにとされていましたが、マクリーンの相続人はマクリーンが残した債務を弁済するためにこれを売る許可を得た後、1949年にニューヨークの宝石商であるハリー・ウィンストンにホープダイヤモンドを売却しました。
歴史上18番目の所有者となったハリー・ウィンストンはアメリカ国内の巡回展や各種チャリティパーティなどでホープダイヤモンドを展示しましたが、売ることはありませんでした。
「スミソニアン博物館へ」
1958年11月7日、ハリー・ウィンストンはスミソニアン協会にホープダイヤモンドを寄贈し、スミソニアン博物館の一つである国立自然史博物館に展示されることとなったのでした。
ちなみに、ハリー・ウィンストンはスミソニアン協会にホープダイヤモンドを寄贈する際に郵便で送っており、なぜ郵便でホープダイヤモンドを届けたのかは今もなお謎となっています。
ホープダイヤモンドの伝説
長い歴史の中で様々な人々の手を渡ってきたホープダイヤモンドには以下のような伝説が語られており、その呪われた過去として語られる部分が多くの人々の興味を惹き、世界中の人々の関心を集める要因となっています。
しかしながら、伝説のなかには事実と異なる誤ったものもあるため、ホープダイヤモンドを所有したことによって呪われるという伝説の真相は闇の中と言えます。
・ヒンドゥー教の寺院に置かれていた像の目に嵌められていた2つの宝石のうちの片割れがホープダイヤモンドであり、何者かによって盗まれたことに気付いた僧侶が全ての所有者に呪いをかけた。
・王妃マリー・アントワネットはホープダイヤモンドを所有していたためにフランス革命によって処刑され、その夫であるルイ16世も処刑されることになった。
・ホープダイヤモンドを所有した宝石商たちは、たちまち凄惨な最期を遂げた。
・タイタニック号が沈没したのは、乗船客の中にホープダイヤモンドを身につけていた者がいたためである。
「ホープダイヤモンド」まとめ
ホープダイヤモンドは、その美しさと特異な歴史によって今もなお人々の関心を集め続けています。
本当に呪いの力がホープダイヤモンドにあるのかは今となっては実証できませんが、万人を惹きつける魅力があることは確かです。
石には人間の思いが宿るとも言いますし、これだけ美しい宝石ですから、様々な人々の思いが宿っていることは疑いようがありません。
まあ、下手に素人がこういうものを持たない方がいいのかもしれませんね!
それでは、チュース!